7月30日、帰省
実はあのカムチャツカで起きた地震の日は、朝から帰省の準備をしていました。
飛行機は夕方の便だったので、それまでゆっくりできるなぁなんて考えながら、朝からラジオを聞いていました。すると、急にパーソナリティの会話が途切れて「地震があったようです…」と。
北海道出身の私には馴染みのある「カムチャツカ」という名称。あ、いつからカムチャッカと呼ばなくなったのだろう?
ここ(日本)は関係ないだろう。でもなんとなく地元(釧路)が心配だな、とぼんやり思っていた。すぐにラジオもコーナーの続きをやっていたし。
それから10分くらい?経ってから再び地震の情報。かと思いきや「津波警報です!」と深刻なワードが聞こえてきて一瞬で心がざわついた。
我々日本人は、あの悲惨な震災の日から「津波」という言葉に敏感だ。
ラジオをやめてテレビに変えると、地元の映像が流れていた。
「太平洋沿岸で津波警報」「にげて」の文字。
ああ、これは大変なことになった。もしかしたら帰省できないかもしれない。それより、実家は?
LINEで母に連絡を取ると、朝からアラートがすごかったと。私の親戚たちは海沿いに住んでいるのだけど、既に高台への避難が始まっているし、低い場所の道路は通行止めになっているとのことだった。
心がザワザワして、なんだか朝から現実じゃないような気がした。
北海道が被害を受けそうだと思ったら、すぐに和歌山や千葉の映像に切り替わって、さらに恐怖心を煽られた。
北海道に帰れるなら行った方がいいのか?むしろ東京に残る?
何が正しいのかわからない。
もちろん、飛行機が飛ぶのかもわからない。
昼頃になると、周りの状況が見えてきた。飛行機は無償で日付を変更できるとのことだった。でも、次の日も、その次の日もこの時期は満席で空きがなかった。
これに乗らないと多分もう帰れない…そして、この状況で家族に会えないままは嫌だ。
予定より早く羽田に着いて、飛行機が飛ぶことを祈った。遅延か、最悪欠航との緊急ニュースがあったので覚悟していた。
何より不安だったのは、「釧路空港にみんな避難しにいっている」という情報だった。
え、そんな状況で飛行機が降り立つの?むしろ無理に行って孤立しても意味なくない?
しかし、それでも行けそうならいくしかない。

釧路空港
緊張しながら待っていた。
そうしてるうちに、無事に乗れることになった。
ありがとう。航空会社の皆様。
釧路!地元に帰れる!
少し遅れたけど、なんとか目的地に着陸した。
しかし、ここからは市内行きバスが全便運休という観光客には地獄のような試練が。
母が車で来てくれたので、私も二人なら載せられるけど、ごった返してる人の中から選ぶのは難しかった…。
どっと、疲れ切った体で帰ってきましたとさ。
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